さわやかなオッサンはストレス無縁である!はず!べき!

 

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最近のマイブーム。中村 天風さん。Wikipediaより。

中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 - 1968年12月1日)は大日本帝国陸軍の諜報員、日本の実業家、思想家、ヨーガ行者、自己啓発講演家。天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村 三郎(なかむら さぶろう)

戦前、戦後のカリスマに今この平成最後の初秋のタイミングでぞっこんでござんす。

youtubeとかで音声を聞くことができるのですが、なかなか粋なべらんめえ的ベシャリでその魅力に引き込まれます。しかしながらその多くの著書では時に難解な文言が多く、読書慣れしてない現代人の私からするととっつきにくいものもありました。

 なんかわざと小難しく書いているんじゃとか思ってしまう。。

 と、以前より気になっていた戦前の頃よりの合気道創始者 植芝盛平さん

 

youtubeとかで合気道の組手みたいなのやってる映像が簡単に検索できますが、なんか嘘みたいに大勢の大人が吹っ飛ばされてて面白かった。。けどすごい人

 

この二人を師匠として生きたすごい人がいた!!のを最近知りました!

その名も 藤平光一さん。

 

なかなかのさわやかなオッサンですな。

 

 


中村天風と植芝盛平 氣の確立

中村天風植芝盛平 氣の確立」藤平光一著 よりご紹介します。

 

 あるとき私は天風先生に、クンバハカのような、あんな呼吸法はダメですよ、と言ったことがある。

 すると先生は、「どういう意味だ?」と私の顔を見た。

 クンバハカとは、天風先生が弟子たちに教えたヨガの呼吸法で、不動の心と身体をつくることを目的としていた。つまり、これができれば、リラックスも心身統一体もできるということである。しかし、私にはそうは思えなかったのだ。

 「いや、先生、クンバハカというのは間違っていますよ。だって先生、クンバハカをやっていますか?」
 「いや、やっておらん」
 「じゃあ先生は、自分でやっていないことを人にやれと言うんですか?」
 「うーん・・・わしはいつでもできるからいいんだ」
 「ねえ、先生、いつでもできる状態にあるということは、つまり、いつでも完全にリラックスしている状態にあるということですね」

 ちょうど、そのとき、中村天風先生の高弟が二人いた。そこで二人にクンバハカを実際にやってもらってから、私が二人の胸を押すと、二人とも簡単にひっくり返った。

 「先生、クンバハカは 安定打坐、すなわち心身統一でしょう。こんなクンバハカはないでしょう」と私が申上げると、天風先生は「そのとおり」と答えられた。

 「それでは次に私がやってみます」と言って、私があぐらをかき、そのまま両脚を上げ、不安定な姿勢になった。
  そして、私の両肩を、先生の高弟に二人がかりで押させた。ところが、統一体になった私がビクともしないでいると。
 「おまえ、それは何だ」
 と天風先生が聞かれた。
 「これが本当のクンバハカでしょう、先生が教えたいのはこれでしょう」
 私がそう言ったら、先生は「そうだ」と返事をされた。

 「先生、これが正しいのでしたら、今のクンバハカは間違っていますよ」
 当時、クンバハカ法は下腹に力をこめろと教えられていた。しかし、力をこめたのではリラックスなどできるはずがない。

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 尻の穴を締めるということは正しい。人間は死ぬと、尻の穴から便が出る。つまり、生きている以上は尻の穴を締めているのが正しい状態である。リラックスしていれば、自然に尻の穴は固く締まっている。

 しかし、下腹に力を入れれば、必ずみぞおちにも力が入る。これでリラックスなど、できるはずがない。下腹はこころをしずめるところであって、力を入れるところではないのである。

 もしも天風先生の教えどおりに坐れば、どうしても身体は安定しない。それは読者も実際にやってみればすぐに理解できるはずだ。
 この状態で身体を押されれば、簡単にひっくり返ってしまうのである。もしも自然体ができていたなら、まさしく不動でなければならないはずなのだ。

 ところが天風先生は、リラックスした結果としてビクともしない不動体になるのに、弟子たちにその出来上がった“形”から教えようとしたために、弟子たちはかえって不動体にならない。力んだもろい姿になっていた。

 つまり、結果として、天風先生の教えとはまるで逆のことを弟子がやっていることになるのである。

 「それは弟子の罪じゃなくて、教えている先生の罪ですよ」
 私がそう言うと、「それはそうだ」と言って、先生は即座に、氣をしずめてというふうに教え方を変えた。そういうことが簡単にできる人だった。

 天風先生は、はるかに年下の私から、杖術も含め、いろいろなことを習うのも、全然こだわりのない心でおられた。
 そういう点は本当に立派だったと思う。

 私が遠慮なくものごとを言うと、「負うた赤子に浅瀬を教わるか」と言われていた。私の言うことは決して粗末にはしなかったし、やはり常にそこには何かがあると思っていたのだろう。

 クンバハカにしても、天風先生は、最終目標である心の使い方ができるようにするために、あくまでも便法としてやらせているつもりだったのだ。

 先生は、いろいろ苦労して立身出世した人だ。
 たとえば朝早くから新聞配達をし、努力して食うや食わずで立身出世した人は、自分の子供や孫には同じ苦労をさせたくないと願う。だから、どうしても乳母日傘で自家用車で学校にも通わせるようになって、甘えの抜けない子供をつくるようにもなる。

 天風先生も、さんざん苦労して会得してきたものだから、弟子は自分と同じような苦労には耐えられないと思ったのだろう。だから、もっと楽に学べるようにと、言葉をつくって教えた。

 もちろんそれは先生の親心に違いない。しかし、私が先生に「親心が逆になりましたね。どら息子ばかりつくっているじゃないですか」と言ったときには、「うーん」と唸られるばかりだった。

 ところがそんなクンバハカも、天風先生が亡くなったあと、いつのまにかまた元の誤った形へ戻ってしまった。本などでも誤ったやり方がそのまま説明されている。

 天風先生は亡くなる前に弟子を呼んで、「おれが長年教えたことはみんな忘れろ」とおっしゃったはずだ。

 つまりそれは、クンバハカのやり方も忘れろということだ。人間、死の間際に、それまで自分がやってきたこと、教えてきたことを忘れろなどと言えるものではない。
 ところが天風先生は、はっきりと、おれが教えたことはみんな忘れろとおっしゃったのである。

 次回に続くのであーる。